機材を選ぶということ

コンポーネントの選択肢は3種類なわけだが。
この選択に深い悩みをするわけでもなく。
もしかするとほとんどのヒトは決まっているのかもしれない。
フレームを何にするかということのほうが重要で。
ホィールをどうかしようということのほうがより重要視されていることなのかもしれない。
そう。
ふと思ったのである。
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コンポーネントはなかなか壊れない。
だから交換の機会も少なくて済むとも云える。
部分的に壊れても。
まさか全取っ替えということにはなりにくい。
そういうことでコンポーネントはカラダに染み付き。
肉体と共棲をするようになる。
ある意味での人車一体。
さて、そこで機材を選ばんとするのは何か。
性格か。
生き方か。
つまり、そういうところから機材は選ばれているということなのかもしれない。
そう。
思ったのである。
by astronautics | 2014-03-20 23:50 | 自転車とヨシダ
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