金メダルとファッションサイクリストを考える

自転車ウェアーの世界に存在する独特ルール。
其れはチャンピオンジャージ。
アルカンシェルの世界チャンピオンジャージや。
各国選手権を征した選手のナショナルチャンピオンジャージが有名ですが。
オリンピックにも金メダルを獲得した選手用にオリンピックジャージがありました。
プロ選手が出場できるようになって初の優勝者であるパスカル・リシャールが着用していました。
1996年アトランタオリンピックの勝者。
世界チャンピオンみたいな真っ白生地に五輪がプリントされたデザインもありました。
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さて、このまんま五輪のジャージは4年もしないうちに無くなります。
パスカル・リシャールがその後の4年のうちに引退してしまうことと。
きっと五輪の権利関係からクレームが来たのかもしれません。
2000年のシドニーオリンピックの勝者であるウルリヒは金メダリストであることをいっさいジャージやウェアー類に表現することはありませんでした。
ちなみにこのときの表彰台はウルリヒ、ヴィノクロフ、クローデンという当時のT-Mobileチームでワンツースリーの表彰台を独占。
しかも、3人で逃げての勝利でした。
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Wikipediaにもエターナルセカンドの記述があるウルリヒですが、ツールでのリザルトがそうさせてしまうだけで。
TTで世界チャンピオンに2度も輝き。
このオリンピックのTTでも2位。
グランツールもツールにヴェルタも1回ずつ勝っており。
さらには国内選手権ではロードレースにも勝利しているという立派な成績があります。
国内選手権ジャージや世界チャンピオンジャージの着用可能期間は1年で、其れが終わると袖口と襟にチャンピオンであった柄をいれることができるのですが、ウルリヒはそういったことはいっさいしていませんでした。
ジャージが特注できなかった?
そんなことはなかったはずで、なにか個人的なこだわりだったのではないか、もしくはこだわりが無かったのではないかと思います。
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さて、地味だった金メダリストアピールの無かったウルリヒの4年が終わり。
金メダルファッションを決定的なものにしてくれるヒーローがあらわれました。
2004年のアテネを征したパオロ・ベッティーニが其の人。
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ジャージに五輪は駄目ですよ、となれば他の部分で金メダルアピール。
ヘルメットやサングラスが金色になったのはもちろんのこと。
SIDIのシューズは限定モデルで販売されませんでしたっけ?
それにしても見てくださいよ。
このヘルメットだけ全表面が金というなんとも云えないアピール具合なわけです。
当時、絶対マネしたくないなと思ったのはわたしだけではないはず。
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そういえば、チームのサイトでこんなジャージも売られてました。
ゴールド仕様のQuick Stepのジャージ。
このとき、衣類にゴールドは厳禁であるなと思ったのです。
肌色に見えて、一見するとハダカなのかという誤解を生みますからね。
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自転車も祭状態に。
なにか成金趣味と云いますか。
とはいえ、フレームにも若干我慢したぐらいのゴールド具合。
パーツ類がゴールドなのでまぁ、まだまだ見れるか。
こういうのを好みと云うのでしょうか。
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そんなベッティー二は2006年シーズンに大爆発。
金色のヘルメットのまま国内選手権を制覇。
イタリアチャンピオンのトリコローレのジャージに金色のヘルメット。
2つの勲章を身に纏ったかと思ったら。
シーズン最後には世界チャンピオンに。
ここでアルカンシェルの虹色まで加わって、ベッティーニのスタイルはどうなることかと思われたのですが。
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とりあえずヘルメットに落ち着きを見せます。
とはいえ、ごった煮感のぬぐえないヘルメットが完成。
金メダルに。
イタリアチャンピオンに。
世界チャンピオン。
チャンピオンのなかのチャンピオン。
まさにカンピオニッシモにしかわからない苦悩がそこに表現されていたのかもしれません。
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コテコテ期のベッティーニ時代の4年を終えて。
2008年の北京五輪を征したのは下りの名手であるサムエル・サンチェス。
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地味目かと思われたサンチェスは、しかしどうして、ベッティーニのコテコテ路線を継承します。
其れどころかジャージにまで他のチームメートには無いゴールドのラインを入れてしまう特注仕様に。
もちろん、ヘルメットからサングラスにシューズ、自転車に至るまでがゴールドに。
ただ自転車に関しては当時乗っていたORBEAの自転車はホワイト&ゴールドでアクが薄れていましたね。
とはいえ、ちょっとヤンキー感も漂っていましたが。
もしかすると、ゴールドというカラーを合わせる際のキーカラーはホワイトなのでしょうか?
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2年前でしたかね、サンチェスがBMCに移籍することになったらゴールドはどうなるかと思っていたのですが。
すでに2012年にロンドンオリンピックが済んでますので4年の使用期間も終わって、袖と襟のアピールに留まっています。
いちおう他の選手と違ってゴールド。
でも、何も知らなかったら気付かないと思うゴールドというか黄色の帯なんですね。
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2012年のロンドンは記憶に新しいところ。
ヴィノクロフが逃げて勝利しましたね。
この機会に気付きましたけど、2000年のシドニー大会では2位。
しかも、違う国とはいえチームに帰ればエースであるウルリッヒに勝たせた格好になったことへの雪辱を果たしたと云えるリザルトだったのではないでしょうか。
今でこそ国を挙げての支援体制を造り上げたヴィノクロフのカザフスタンですが。
当時は中央アジアであるカザフスタン選手はドイツの名門チームにおいて肩身が狭かったはず。
ヴィノクロフもいろいろと問題のあった選手でしたが、やはりカッコいい。
記憶に残る選手のひとりですね。
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オリンピックでの引退を表明していただけにヴィノクロフに関しては、その後のレースで顔見世的な出走程度で、ゴールドの自転車が披露されたくらいだったと記憶しています。
ヴィノに関しては、ヴェルタを勝ったときに当時はリーダージャージが黄金ジャージ(マイヨ・オロ)だったので最終日に黄金づくしの装備で走った事がありましたね。
当時の自転車はBHでした。
なつかし〜。
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時代によて変遷していくファッションのように。
自転車選手のファッションも変化していきます。
次回の2016年はリオオリンピックですが、どんな選手が勝って、どんな見せ方をしてくれるのでしょうか。
今から楽しみですね。
そこにリスペクトがある。
by astronautics | 2015-06-11 23:50 | たまには考える男
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