こうして機材の乗り換えをすると。
スラムからカンパへ。
タイムからアイエフへ。
そういう流れを見せると。
なにか過去を捨てたかのように云われることがあるのだが。
事実はそうではない。
チェーンとスプロケはカンパを使い続けているわけで。
そういったところだけでも事実と印象は違うということになる。
けれども、印象はそうではない。
印象とは其のヒトなりのモノであり。
わたしのテからは確実に離れた。
そこの道へはどうしても届かないという。
そういう世界だと思うからである。
其れが現実であっても。
百万個ある現実のひとつに過ぎない。
そこにリスペクトはない。